マドリッドの夜(1)
久しぶりでマドリッドの夜の街を訪ねてみた。最後に顔を出してから十数年ぶりであろうか。昔あった店がほとんど健在である。マドリッド郊外のカジノで遊んだあと(当然、相当の金をすって)、そのまま北の色町にタクシーを向わせた。番地は覚えていないが、多分このあたりというところで下車した。ところが早く下りすぎて、二区画ほどカステジャーナ大通りを歩くことになってしまった。
十五分ほど歩いてその場所にたどり着いた。昔とまったく同じ佇まいであり、ネオンも変わらない。この店はフランコ時代から続く老舗中の老舗である。ドアーを開き、次に厚手のカーテンをくぐり中に入る。いっせいに女性たちの目線が飛んでくる。ゆっくりと傍らの椅子に深々と座る。この店はお客から女性に声をかけない限り、絶対に女性からこちらには来ない。それだけ女性たちの気位が高いということのようである。或いは当局への姿勢の問題なのかも知れない。私がこの店によく通った二十年ほど前からそうである。
案の定、この老舗も世界の潮流と同じく女性たちは圧倒的に旧東欧の女性が多い。ロシアは勿論、ルーマニア、ブルガリア、ポーランド、ハンガリーといった旧中欧・東欧の女性が大半であった。昔はマグレブ(アルジェリア、チュニジア、モロッコ)の女性と中南米の女性が圧倒的に多かったのであるが。これもスペインがEUに加盟したこと、そのEUがどんどん拡大して東欧の国々にまで広がっていることと直結している。
さっそく一人の女性に目配せして呼んでみる。金髪のルーマニア出身のガブリエーラという二十五歳の女性であった。スペインに来て三年になるという。スペイン語は不自由なく操っている。こちらはルーマニア語はできないし、あちらも日本のことは全然知らない様子である。したがって会話はあまり弾まない。
「カジノですってきたばかりなので、もうお金がない」と言うと、「じゃ、何で私を呼んだのか?」と詰問してくる。四方山話をひとしきりすると、もう会話のネタがなくなる。
「ありがとう、今晩は楽しいひと時がもてた」と言って、彼女に小銭を握らせて離席してもらう。
昔と同様、この店は落ち着いていて、かつ店の作りがどこからでも全体が見渡せるように合理的にできている。フランコ時代、この店が有名な映画のロケに使われたと聞いたことがある。また、高名な政治家とか歌手や芸能人も顔を出すと聞く。(あの世界的な歌手フリオ・イグレシアスも現れたという)
今回はその店にいたのは三十分そこそこであったが、マドリッドの夜が昔と変わることなく続いていることを確認し、そして安心した一夜であった。
私が最初にマドリッドの色町を訪ねたのは、確か三十三年前の1977年であった。当時私はベルギーのブリュッセルに駐在していた。駐在当初は管理係長として内部事務をやっていたが、一年ほどして渉外係りとなった。そこでイベリア半島を担当することになった。そして毎月のようにマドリッドとリスボンを訪問することになったのである。最初は支店長の鞄持ちの形での出張であったが、そのうち一人で出張するようになった。何度目かのマドリッド出張の際、我が社のスペイン語トレーニーのY君に夜の街を案内するよう依頼した。マドリッドの夜といえば美味しいレストランとフラメンコに決まっている。しかしこのコースを三度も四度も経験してくると大体の様子が分かってくる。そこでもっと奥深いマドリッドの夜はないものかと彼に訊ねた。Y君は暫し思案したうえ、女性のいるバーに行きましょうか、ということになった。
そのバーは坂道のあるエルマノス・ベッケル通りに面した場所にあり、向かいにはパリバ・マドリッド支店の大きな洋館風の建物があった。Y君とともにオズオズと入ったバーの二階にはすでに沢山の男女が飲んでいた。まだスペイン語が全然だめであった私はもっぱらY君の通訳に頼った。一人の女性がこちらを向いて「アキー」と言っている。フランス語で「A qui?」と言えば、「誰に?」である。果て「誰にする?」と聞いているのであろうか。結局、Y君の通訳で彼女は「ここに座れ」と言っていることが分かった。こうして何人かの女性と会話(?)をしているうちにY君から「どの女性とでもホテルに帰れますよ」と言われた。はてさてそう言われても目移りがしてなかなかこれはという女性が見つからない。Y君からもうそろそろ決めて欲しいという様子が感じられた。そこで私は胸が一番大きい女性に決めた。彼の通訳で、それではと三人が立ち上がると、彼女は170センチの私よりも背が高かった。何よりも胸の高さは抜群であった。
(つづく)





