「誠実な美女」を求めて
2010年8月
「スペイン語で読むやさしいドン・キホーテ」は、もともとはNHKの「テレビでスペイン語」のテキストに1年半掲載されたものです。原作の持つ雰囲気を維持しつつ、だいたい中級ぐらいのスペイン語で不朽の名作「ドン・キホーテ」の色々な名場面が描かれています。読者はこの古典のさわりの部分を味わい楽しむことができます。
テキストという性格上、当然スペイン語を学習される方が一番の対象ですので、その翻訳にあたっても、読者が自分のスペイン語の解釈が正しいかどうかを、対訳で簡単に確認できることを重要視しました。意訳はなるべく避け、文法的な解説や原作からの情報を織り込んで、読者がよりスムーズに読み進めるようにサポートするのが私の役目だと考えました。けれども、読んで面白くなければ翻訳そのものの価値がありません。
米原万理氏が著書「誠実な醜女(しこめ)か不実な美女か」で、通訳者や翻訳者は常に「美しくはないが原文
(や目的)に誠実な翻訳」と「原文には不誠実でも言語として美しい翻訳」の間で、迷い、苦しみ、選択すると述べています。私の場合もまさにそれで、この2年間は、学習書として役に立ち、読み物としても面白くあってほしいという葛藤のなかで、ひたすら「誠実な美女」を目指して奮闘する日々であったかと思います。
翻訳にあたってもうひとつ大変だったのは、NHKの
「放送禁止用語」で、これは番組のテキストについても適用されます。「狂う」「気が変」、「きちがいじみた」「農夫/農婦」「女中」「~屋で表される職業(魚屋など)」…は全て禁止です。その数は多く、翻訳者はまるで手かせ足かせをはめられたかのような状態です。
「狂う」を「常軌を逸した」などで言い換えることはできても、「農婦」を「農民の妻」「女中」を「お手伝いさん」と訳しては、原文のニュアンスが全く伝わりません。これはもうお手上げで、最後に編集者に頼み込み、最低限必要な言葉のみ「おことわり」を載せることで、使ってもよいという許可を得ました。
刊行された今は、この本が学習書として大いに役に立ち、翻訳がスペイン語の学習者以外の人たちをも誘惑できる「誠実な美女」であることを祈っています。
粕谷てる子




ヘスス・マロト著/粕谷てる子著
日本放送出版協会












